By   2014年5月19日

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レントゲンとX線のリスク意識(第2回)

5.X線ブームと放射線障害

図8.T.エジソン

図8.T.エジソン

真空放電の実験装置はほとんどの大学の物理学科に備えられていたので、1896年1月1日以降、

直ちに各地でX線の追試が行われた。イギリスでは、低圧(1~0.1Torr)の放電管がよく使われていたため追試に失敗するケースが多く、レントゲンの発表は虚偽であるという報告もあったが、1ヶ月ほどで混乱は収まってきている。他方ウィーン大学では同年1月17日には、もう生理学教授のジグムントらによって、前腕の骨折や弾のはいった手などのX線写真を自前で撮影し、医学での応用研究をスタートしている。同年2月にはキャベンディシュ研究所の物理学者J.J.トムソンが、X線によって空気中に電離作用がおきることを報告し、のちにこの研究はウィルソンによって「X線による雲の発生」そして放射線を可視化する「霧箱の開発」へと発展していくことになる。

また「エンターテイメントとしてのX線」に最も早く反応したのが、当時発明王といわれていたアメリカのT.エジソンである。エジソンは、全社をあげて不眠不休の体勢でX線による「透視用暗箱

図9.透視用暗箱

図9.透視用暗箱

(Flouroscope)」や「X線照明装置」の開発に取り組んでいる。透視用暗箱は図9のように対象物にX線を照射し、それを蛍光スクリーンで受け、明るい場所においてもX線の透過映像をリアルタイムで見ることができる装置である。

エジソンが同年5月のニューヨークの電灯協会博覧会でX線の公開実験を実施したところ、驚異的な数の市民が見物に押しよせている。その後「エジソンのX線キット」が売りに出され、こうして種のない危険なマジックが、大道芸の仲間入りをしていく。

この開発過程でエジソンは目を痛め、エジソンの助手のクリアランス・ダリは実験のモデルなどで過剰にX線被ばくをして火傷や潰瘍を発症している。その後ダリは、潰瘍からガンを発症し両腕を切断するが、1904年39才で死亡している。

X線被ばくによる最初の犠牲者と言われている。そ

図10.ダリの手

図10.ダリの手

の後、エジソンは、X線の商品化から撤退する経営判断をするが、身体に障害を及ぼす直接の原因はX線によるものとは認めることができなかった。

6.レントゲンの被ばく環境の変化

1896年の新年があけ、2月にはいると、レントゲンは、より高性能のX線発生装置でX線の実験を始めている。その後数ヶ月遅れで一般の研究者やその関係者も同じ実験をしている。こうしたパターンは約1年半の間続き、レントゲンは常にこうしたX線被ばくのトップランナー役をつとめている。

レントゲンは、このような危険な役割を常に果たすことによって、本当にダリのようなX線障害を発症しなかったのだろうか。それとも、放射線障害を秘密にしてX線の研究を続行したのではないだろうか。残念ながら、こうしたレントゲン個人の健康面に言及した記録はほとんど見当たらない。そこで本稿では少し遠回りだが、レントゲンのX線研究での被ばく環境を明らかにしながら、彼の放射線障害の可能性を検討していくことにする。

図11.ヒットルフ管

図11.ヒットルフ管

レントゲンのX線発生装置は、X線発見の論文「第1報」を書き上げるときから、つづく2つの論文執筆へと時間を経るに従って大幅な性能の向上が見られる。「第1報」を書き上げるためにレントゲンが使った放電管は図11や図12のようなどこにでもあるヒットルフ管やクルックス管である。ただレントゲンは真空ポンプに改善を加えて、放電管の真空度をあげ50~60kVの高電圧を加えてより強力なX線を発生させている。

ヒットルフ管やクルックス管の中で、電子は高電圧で加速され高速度でガラスに衝突し、そのエネルギーのほとんどはガラスに衝突したとき発生する熱になり、残り1%足らずのエネルギーが紫外線よりさらに波長が短い電磁波・X線を発生させるのに使われている。電圧を上げすぎたり、長時間放電させると放電管のガラスが高温となり壊れてしまうので、クルックス管やヒットルフ管ではそう強力なX線を発生させることができなかった。

次の論文「新しい線について(第2報)」(以下では「第2報」と略称する。)では、放電管の飛躍的高性能化がみられる。レントゲンは、すでにクルックスによって考案されていた「フォーカス管」に工夫を加え、図13のような放電管を使い始めた。このフォーカス管では、電子を発射する陰極は焦点をもった白金の円板状のものに改良されている。また今まで電子をガラスに衝突させていたのをやめて、陰極の向かいに電子を衝突させる金属のプレート板を設置した。今度は、円板の陰極から発射された電子がプレート板で点状に衝突しても、プレートは金属なので放熱がすばやく、高電圧に耐えられるため強力なX線の発射が可能になった。しかも、電子線(陰極線)がプレート板の1点に集中して衝突すると、そこから点光源のようにX線が発生し、点光源の電灯から鮮明な影絵ができるように、X線においても飛躍的に鮮明なX線写真の撮影が可能になった。

レントゲンはこうしたフォーカス管を使い、電圧もさらに80~100kVまで上昇させている。こうして手の透過写真は、今まで15分近くかかっていたものが、わずか1分間で撮影が可能になった。撮影時間が15分の1に短縮したということは、レントゲンの被ばく環境が一気に15倍ちかくも悪化したということでもある。

図12.クルックス管

図13.フォーカス管

レントゲンは、さらに1896年3月から翌年1897年3月の間に電圧を150kVまで上げさらに透過性の高いX線を発生させている。その頃は、4cmの厚さの鉄板も透過する硬X線を発生させている。こうした実験によって高価な放電管の破損が相次いで起きたため、実験のための予算が底をつき、あの実直なレントゲンが業者と放電管の値切り交渉までしている。こうしてまとめられた最後の論文「X線の性質についての観察の続き(第3報)」(以下では「第3報」と略称する。)は1897年3月10日に投稿をしている。レントゲンは第1報から第3報へ研究が進むにつれてX線発生装置は飛躍的に高性能化するととともに彼の実験環境はすさまじいほど悪化の一途をたどっている。

こうした劣悪な被ばく環境の中で実験を続行すれば、いずれレントゲンも、X線障害を発症しダリと同様の運命をたどっていたのではないかと、考えるのは自然なことだが、レントゲンに関する著書や論文には、レントゲン自身のX線障害の発症と防護に関する記述は残念ながらほとんど見つからない。そのような中で、インターネットのウィキペディアでは、レントゲンが火傷を発症したことと火傷の原因についてレントゲン自身の解釈にも言及している。その内容の抜粋を以下に引用する。
「1895年にX線を発見したウィルヘルム・レントゲンはX線の照射による指の火傷を経験したが、それはオゾンによるものと考えた。」(放射線障害の歴史より)
http://jawikipedia.org/index.php?title

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