By   2014年5月19日

レントゲンとX線のリスク意識(第3回)

7.レントゲンの「トタン小屋」

時間を追うに従って悪化していくレントゲンのX線ひばくの環境を考えると、レントゲンが火傷を体験するのは、時間の問題であったのは明らかだが、それがどの段階において発症したのかは、よくわかっていない。レントゲンが第1報から第3報の論文を執筆するまでの間、どのようなX線防護対策をとったのか、ということについてレントゲンが直接に言及している資料は見当たらない。通常はなんらかのX線障害を発症し、はじめてX線防護対策をとりはじめるので、レントゲンの実験方法に防護対策と思われる動きが見えたときが、レントゲンが火傷を発症したときと判断してよいだろう。そういう変化を推測させる有力な手がかりとなるものにレントゲンが製作した「トタン小屋」がある。それについて言及している資料は2つある。一つは、アメリカとイギリスで発行されていた雑誌McClure’s Magazineの特派員ダム(H.J.W.Dam)が1896年1月29日にレントゲンにインタビューしている取材記録である。もう一つは、1896年3月9日に発表した論文「第2報」である。前者のダムのインタビューの記録は内容が豊富でそのときの様子がよくわかる。後者のレントゲンの論文ではそれに関する内容が数行しかないが、貴重な記述がみられる。

以下では、2つの資料を検討しながら「トタン小屋」を使ったレントゲンのX線防護対策に

図14..ケリカーの手

図14..ケリカーの手

ついて検討してみる。
(1)雑誌記者ダム(H.J.W.Dam)によるインタビュー
図3のベルタ夫人の写真と比べると、1ヶ月の間に解像度が飛躍的に向上していることが分かる。X線の存在を公表してから1ヶ月になろうとするこの時期は、すでに述べたように、レントゲンは猛烈な雑事に追いまくられながら「第1報」で積み残した研究にも手つかずで悪戦苦闘をしている最中である。この頃のレントゲンの様子がよくわかるので、当時彼が抱え込まざるを得なかった大きなスケジュールだけを述べてみる。

1月12日にドイツ皇帝ウィルヘルム2世から御前講義を命じられ、その準備のために多大な時間を犠牲にしている。その11日後の1月23日にはヴィルツブルグ物理医学協会で講演を行っている。立錐の余地もない聴衆の前で、レントゲンはケリカー教授の手のX線写真の撮影の演示まで見事にこなしている。この講演は、レントゲンの「第1報」の論文掲載に異例の配慮をしてくれた協会への返礼であり、形式的には掲載論文に対しての事後発表の責務を果たしているともいえる。

その講演の6日後の1月29日に、いままで国内でのすべてのインタビューを断り続けてきたレントゲンが、突然雑誌記者ダムからのインタビューに応じている。この騒然とした時期に、レントゲンが自らの意志でインタビューを受け入れたため、周囲からさぞ大きな驚きで受け止められたことだろう。このインタビューで注目すべき点は、レントゲンがダムの質問に答えるだけでなく、論文「第1報」を執筆するために使った実験装置もダムに体験させていることである。X線を発見するためにどんな機器を使い、どのようにX線を発生させていたのか、というダムの質問に対してレントゲンは率直に答えている。このインタビューの記録を読むと、レントゲンがどのようにX線の防護対策をとっていたのかもよく見えてくる。

以下のインタビューの引用文の( )内の文章や数値は事情を分かりやすくするために筆者が補足したものである。また、図18は筆者が主にインタビューの資料をもとにレントゲンの実験装置の配置を図面化してみた。真空ポンプの位置は不明なので配置図から省略している。

(2)ダムが見た実験室の「トタン小屋」

記者ダムは、レントゲンの実験室に案内されると、そこで大きなトタン箱、あるいは小部屋のような「トタン小屋」をみつけている。以下は「孤高の科学者W.C.レントゲン」山崎岐男、P122-P123、医療科学社、1995からの抜粋であるが、山崎訳に一部誤訳がみられるためMcClure’s MagazineVol6,No.5,April,1896,p412にあたり部分的に森が修正しているので、内容は引用文献と一致していないところがある。)

「彼(レントゲン)は私を別な部屋(A)に案内して、実験に用いたリューンコルフ感応コイル(机1)を見せてくれた。それは普通のリューンコルフ感応コイルで、火花間隙が4~6インチ(10~15㎝)、20アンペアの電流を通して駆動させるものであった。そこから2本の電線が出ていて、開いた戸を通して右側にある小さな部屋(B)につながっていた。
その部屋には小さな机(机2)の上にクルックス管が載っており、感応コイルからの線と連結されていた。しかし、その部屋で1番目立ったのは、高さ7フィート(2.1m)、縦4フィート(1.2m)×横4フィート(1.2m)の大きくて奇妙なトタン小屋だった(約半畳の広さ)。何か大きな箱のような感じで部屋の片隅にあり、一方の端に約5インチ(12 ㎝)離れてクルックス管がおかれていた。」(「孤高の科学者W.C.レントゲン」山崎岐男、P122-P123、医療科学社、1995)
ダムが「トタン小屋」の用途について質問すると、レントゲンは次のように答えている。「それは移動式暗室(傍点は筆者)として作られたのですよ。初期の頃の実験では、窓から入る光線を遮蔽するために部屋全体を黒い重いカーテンでおおわなければならなかったのですが不便なので、トタン小屋の1つの面に18インチ(46㎝)径の窓をあけ、1mm厚のアルミニウムでふたをして、周りをハンダ付けにしました。見えない線(X線)を観察するには、私は電流だけ操作をすればよいようにしたのです。小屋の入り口を閉めると完全な暗室になるので、光または光の効果を見るだけで良かったのです。」(同上)

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