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なぜ起きる「重さと質量」の混乱
なぜ、起きる「重量、重さ、質量」の混乱(その6.最終回)
なぜ、起きる「重量、重さ、質量」の混乱(その6.最終回)
森雄兒
■6.「重量、重さ、質量」の混乱回避の対策
これまで議論してきた「重さ、重量、質量」の混乱の原因をまとめれば、次のようになります。
日本では(新)計量法によって、SI単位を国家が丸呑みしたために、私たちは知らない間に商品売買を「重さ」から「質量」で行うことを国家から義務づけられることになりました。しかしこの一大転換によって国民に混乱が起きることを予想した経産省は、「質量」という言葉を「重さ」と言う言葉に置きかえて使い始め、「質量」が国民から見えなくなるように偽装してしまいました(経産省・用語法)。(新)計量法のSI単位では「大根の質量:3kg」とすべきところを、経産省・用語法を駆使して「大根の重さ、または重量:3kg」と言葉のつけ替えが行われました。経産省は、国民に対して(新)計量法になっても(旧)計量法と変わっていないかのように、国民を誤解させ混乱をのりきる方針をとりました。しかし、公教育の場ではこのような用語の偽装はありえませんので、生活の場での経産省・用語法と公教育の場での学術用語が食い違いが生じ、理科や物理を学ぶ人達に当然のように混乱が広がっていきました。
こうしたことが原因で理科や物理を学ぶ生徒のみならず、再度物理を学ぶ社会人の間でも「重さ、重量、質量」の混乱が発生し、今もそれが続いています。
最終回では、この対策をどうするべきかを考えてみましょう。経産省・用語法は、即刻廃止するべきなのは当然ですが、問題は経産省・用語法を廃止したあと「どういう方向に向かうのか。」という問題があります。廃止後の方向には、2通りあると思われますので、そのことについて以下で検討して見ましょう。
□第一の方向――「正しいSI単位化へ?」
第1の方向は、経産省・用語法を廃止し、国際的に通用する正しいSI単位「質量:kg」で商品売買を実施するということです。通産省・SI単位等普及推進委員会でkgの用語を明確に規定しない、と打ち出した荒唐無稽な方針を廃止し、「重さ、重量、(体重):kg」は誤用であり、「質量:kg」のみが正しい規定と明確にします。そして「重さ、重量、(体重)」は、物理学の定義通りに「力や重力」の単位の用語に戻します。
これで国内のSI化は、国際的にも通用するものとなり、物理学の用語との食い違いも一掃されます。「重量、重さ、質量」に関して子供達の教育の混乱を政府自らが助長してきた異様な状態もとりあえず歯止めがかかる方向に向かいます。
さて、次に問題になるのはこうしてここで正式なSI化がなされると、すでに何度もふれてきたように私たちは生活から「重さ」の言葉を喪失することです。それは、「重さ」の言葉の裏付けである「重さ」の単位がSI化によってなくなるからです。例えば、重さ2kgの手荷物、重さ100kgの太った人、重量200kgのピアノ、という当たり前の言い方は社会的に誤用あるいは支障が生じるようになります。そういう問題が起きないようにするためには、次のように「重さ」を「質量」に修正されなければなりません。
質量2kgの手荷物、質量100kgの太った人、質量300kgのピアノ、
単位のSI化がもたらすこの言葉の世界はいかがでしょうか。ここには、まるで感性が欠如した空虚な言葉の風景が広がっていませんか。SI化によって商品売買に使える「重さの単位」を失うということは、こういうことなのです。国民全員がまるで言葉の重さを失い無重量状態でふわふわ浮遊している状態を想起させる言語感覚です。もし、はじめからこうなると分かっていたら、大反対の声があがったことでしょう。経産省は国民のそういう猛反発を見越して、(新)計量法をなにがなんでも施行させるために経産省・用語法で「質量」の言葉を「重さ」という言葉で偽装を行ったのだろうと思います。
しかし、その行為は「重さ」の単位はなくなったにもかかわらず、「質量」という看板に「重さ」という即席の張り紙を貼っているようなものです。この底抜けの安易さには、言葉と文化に関する知見がどこにもみあたらないと言わざるを得ません。現在、私たちがおかれている場所は、経産省・用語法で「質量」という言葉が遮蔽されているそういう場所です。
この現状は経産省・用語法を駆使して誤解を誘導され、「質量」概念の偽装によって主権者である国民の意思は、まったく無視された結果です。従って、この問題は主権者である国民の意思をあらためて確認しなければなりません。「本当に日本の国民が<質量>概念で商品売買するシステムを受け入れるか。」、「生活の中から<重さ>という単位(用語)が本当に消滅しても良いのか。」という国民の意志の確認が必要です。
計量法においてその目的を以下のように記述しています。
(目的)第1条この法律は、計量の基準を定め、適正な計量の実施を確保し、もって経済の発展及び文化の向上に寄与することを目的とする。
ここには、単位はたかが数量を数えるだけの道具ではなく、単位は私たちの精神的生活と密接に関連した大切な文化的存在でもあることが明記されています。経産省・用語法を廃棄した後に、進むべき方向は、正しいSI化を受け入れるか否かは、経産省ではなくわれわれ主権者である国民が意志決定すべき大切な問題です。
次に「正しいSI化にNO!」という国民の意思が表明された場合、その先一体どうなるのかということについて検討していきます。それが第二の方向です。
□第二の方向――「部分SI化と重力単位の復活」
SI単位それ自体は、物理系とその周辺分野の人にとってはとても有能で緻密な単位と高く評価されていますが、その他の研究分野からは必ずしもそうではありません。また、すでに明らかになったように商品売買の単位として、SI単位には致命的欠陥があります。経産省がSI単位化による混乱回避のために「質量」用語の偽装へとハンドルを切った背景には、「質量」概念でしか商品売買ができないSI単位の致命的欠陥を彼らがとてもよく理解していたからです。
米国の国民においても、最近このSI単位の欠陥が浮上しつつあるようです。日本のようなこれほど徹底的にSI化の問題点が隠蔽されてしまう現象が、どの国でも起きているわけではありません。日本は尺貫法から全面的にメートル法へシフトしたあと、SI単位に移行している事が悪用される結果になってしまいました。しかし、メートル法を全面的には受け入れず、ヤード・ポンドを生活や商品売買に残している米国の国民にはこの「質量」を「重量や重さ」という言葉で偽装するトリックは通用しません。
その理由は、全面SI化による変化は日本のように「kg(力)→kg(質量)」ではなく「重量ポンド(力)→kg(質量)」になるので、用語の変化を日本のように「重さ(力)→重さ(質量)」と経産省・用語法で偽装し、隠蔽することができないのです。米・英の国民にとってSI化とは、「重量ポンド(力)」を捨ててSI単位の「質量」への移行であり、単なる単位の換算の問題ではなく、未体験の「質量」概念で売買を義務化される大転換であることが丸見えになるのです。
(新)計量法施行時(1992年)に日本の国民は「質量」の言葉の偽装を三笠論文で指摘・警告されてもほとんどの人がこのことを理解できませんでした。ところが、英米の国民は、フートポンド系からSI単位を見ているため、そういう論文がなくてもSI化がもたらす結果があからさまに見えてしまうのです。
こうしたことから、英米の国民は「質量」概念を毎日の売買過程で義務化されることを本当に受け入れるのか、「重さ」の単位を生活から本当に手放すのか、という意志決定をはじめて主体的に判断できる国民になると思われます。そして、当然のことながら米国ではそのSI化に反対を表明する国民の運動が起きています。
20世紀の中心は核の時代で物理がその中心に位置していましたが、21世紀は明らかに生物・環境が中心になるという見方が大勢です。SI単位は、その20世紀の物理には最適でしたが、21世紀の生物・環境には必ずしもそうではありません。しかもSI単位の「一量一単位」という理想が、硬直したシステムであるということは研究者から指摘されている通りです。「一量一単位」というのは、例えば「速度」という量を「m/s」という一つの単位に限定し、原則として非SI単位を排除するスタンスをとります。これは単位を思考の道具として未知の現象の解明のために、多様な単位を駆使していく研究者にとっては有害な制約です(注5)。どちらかというと「一量一単位」は特許事務のような多様な単位に悩まされる単位の管理業務をルーティンワーク化したい役人にとっては夢のようなシステムともいえるでしょう。
現在は、まだSI化の問題点を深刻には受け取れず、経済のグローバル化の波に取り残されないようにフランス発のSI化を漠然と支持している科学技術者が多数のようですが、SI単位の運用方法も含めて冷静に判断するようになれば、見方は大きく変化していくと思われます。もし、「一量一単位」や「全面SI化」という硬直したシステムが廃棄され、柔軟な部分SI化が推進されれば、従来どうり多様な単位の共存が可能となり「質量の偽装」や無理に「質量」で商品売買する冒険的試みもする必要がなくなります。
「質量」で商品売買することを断念し、商品売買には最も有能な重力単位系を復活させることになるでしょう。(経産省の偽装によって、国民は(旧)計量法のまま変わらないと説明されていますので、それを偽装ではなくその通りに実現するということでもあります。)
もし、こうした第2の方向に日本が進んで行くとすれば、「用語」は修正せず単位「kg」を「kg重」という重力単位に修正するだけで混乱をすべて収束させる事ができます。たとえば、
「大根の重さ、重量、(体重):3kg」→「大根の重さ、重量、(体重):3kg重」
というようにです。
中・高校生の読者は、この小論を通して読むのは大変かもしれません。そこで(1)、(2)、(6最終回)と読んではいかがでしょうか。(3)、(4)、(5)を飛ばしても筋がよく見えると思います。もう少し、詳しく知りたくなったら(3)、(4)、(5)をあとで読むのもよいと思います。今は、(1)(2)、(6最終回)と読み継ぎ、対策まで論理的に納得しながら到達して、これからどうするかを自分で判断することが大切だからです。
(注5)「それらは文末に括弧書きで示した非SI 単位による表現に比較して,直観性が低く分かりにくい」一例を引用します。茂野博(2004.11)「地球科学分野における国際単位系(SI)の使用:問題点と解決策
「(1)水深100 m の水圧(大気圧分を含めて)は,概略1.1 MPaである(~11 atm).
(2)海水の温度を30℃上昇させるには,1ℓ( リットル)あたり概略126 kJ の熱エネルギーを要する(~30 kcal).
(3)太平洋プレートは日本列島の下に概略3.2 nm/sの速さで沈み込んでいる
(~10 cm/y).
(4)今回の大地震の規模(地震波動エネルギー)は,概略63 PJ であった(~M 8.0).」
(参考文献)
1.法務省:計量法
2.法務省:民間事業者による信書の送達に関する法律施行規則
3.法務省:道路運送車両法
4.産業総合技術研究所・計量標準総合センター「国際単位系(SI)は、世界共通のルールです」、http://www.nmijjp/
5.通商産業省SI単位等普及推進委員会(1999):新計量法とSI化の進め方-重力単位系から国際単位系(SI)へ-.(http://www.meti.go.jp/topic/downloadfiles/e90608kj.pdf)
6.三笠正人(1992.5.9)「国際単位系への統一に反対」信濃毎日新聞、
7.茂野博(2004.11)「地球科学分野における国際単位系(SI)の使用:問題点と解決策」、地質ニュース603号,25 ― 33頁,
8.兵頭俊夫(2002):教科書検定の問題点.日本物理学会誌,57,154-158.(http://maildbs.c.u-tokyo.ac.jp/̃hyodo/Edu-Report2002/node30.html)
9.多賀谷宏「これからのメートル法-ヤードポンド圏からの離陸支援を」 https://www.keiryou-keisoku.co.jp/today/kijistock/tagaya/tagaya07.htm
10.重さと質量に関するさまざまなブログ。
例えば、http://blog.livedoor.jp/airtouch/archives/4011201.html
11.日本物理教育学会「物理教育用語集」
12.国際文書第8 版(2006 年)「国際単位系(SI)」
13.森雄兒「重さがなくなった物体の性質」、サイエンスの森、http://sciwood.com/mori-column/mass-weght-collum/
14.海老原寛(1994)「単位の小辞典」、講談社サイエンティフィック、
15.朝日新聞大阪(1992年11月14日)「計量単位、国際単位系へ、」、
16.「どう教える?国際単位系への移行」(1992年07月17日)
17.小佐野正樹(2011.10)「教科書の重さ学習と物の重さ」、理科教室、8ー15
18.板倉聖宣他(1978)「ものとその重さ」、国土社、
19.和田純夫他(2002)「単位がわかると物理がわかる」、ベレ出版、
20.日本機械学会(1975)「JIS機械工学便覧」、日本文化出版、
21. 森雄兒(2015)「(新)計量法が重さと重量に及ぼす意味の変容」APEJ通信No.161,p10―22