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専攻:理科教育 主要論文:非識別性多肢選択問題の誤答分析の方法、日本教育工学会       計量法改正がもたらした「重さ・重量・質量」の混乱、物理教      育、 Vol.65-1,20-25,2017        

霧箱で汚染土壌を見る(第1回)

By   2012年1月30日

Ⅰ.霧箱で汚染土壌を見る

東電福島の原発事故から半年後の2011年9月1,2日と福島市、伊達市、安達太良、国見を回り汚 染土壌を採取してきました。そして汚 染された土壌を手にして自分の手で霧箱で観察・分析を試みました。飛び交うマスコミ情報とは異なった「汚染」に対する現状認識を深められ れば、と考えたからです。

(第1回):土壌の採取場所、現地の様子、使用した霧箱装 置の説明。ビデオによる汚染土壌の映像の基本的な解説をしています。

1.土壌の採取場所 1回図 1採取地点

2011年9月1,2日と自動車で土壌採取にでかけました。東京電力原発事故からまだ半年しかたっていなかったせいか、どこか、気分がそわそわしていました。具体的な採取場所は、図1の地図にあるように東北自動車道沿いの5カ所で、①安達太良山SA、②福島市街の中心にある簡易裁判所、③市街地から車で15分ほど東に位置する伊達市霊山町(セブンイレブン前)、④霊山町からさらに東の伊達市月館町、⑤仙台に向かう途上の国見SAなどです。(  )内の数値はその場所のおよその空間線量率を示しています。

2.現地の様子

車で福島市街に入ったとき薄い陽射しが射していました。天気は悪くないのに、家の窓先やベランダに洗濯物・布団をほしている家が一軒もありません。街の風景から生活感がなくなっていて緊張感を感じました。市内のほとんどが空間線量率1~2μsv/hと高いので、風で舞い上がる汚染土壌のほこりが洗濯物に付着するのを恐れてのことだろうと思います。福島市街では②簡易裁判所の庭の土壌を採取しました。

福島市街地から東にある③伊達市霊山町では、コンビニのセブンイレブンの前の土壌を採取しました。空間線量率2μsv/h。この数値に驚く、われわれと対照的にセブンイレブンの店内では、何事もないかのように10人くらいの客が、静かに買い物をしていました。周りの人たちはだれもマスクなどしていません。われわれ2人はマスクをして店内に入り、周囲から完全に浮いてしまっていました。しかし店内では、そういうわれわれをまったく意に介さず、とても静かだでしたが、どこか変な静けさでした。

④安達太良山SAでは、測定器を持ち運ぶわれわれが気になるらしく、中年の男性連れが何度もわれわれを振り返って見ていました。芝生の土を採取しているとき、サービスエリアの掃除を担当している30代くらいの女性が汚染土壌の測定値を聞きにきました。「2~2.6μsv/h」の値を告げると「失望感と怒り」のような感情をこめて「――やっぱりね。」と言って立ち去っていきました。これが放射線に対してはじめてわれわれに見えた現地での表情でした。

突然、降って湧いたようにやってきた放射線とどう折り合えばよいのか、感情はおもてに出さないようにしているが、みんな当惑している。福島から避難する家族が、近隣に何も言えずに突然いなくなるという話をよく聞く。去る人も去られる人もその理由が分かっている。

3. 使用した霧箱装置

装置の基本構成はすでにビデオでもアップロードしているベータ線の見える霧箱と同じです。ただ、感度を上げるために次の2点を改善しています。

(a) 側面の布の面積を増やす。

(b) 霧箱の容器の底全体を冷やすために冷却フィンと容器の間にアルミの板を挿入。

 (a), (b) いずれも、霧箱の内部の対流を遅くし、凝結する時間をより多く確保し霧箱の感度を上げるための処置です。ただ、これによってベータ線がよ く見えるようになると同時に宇宙線もよく見えてくるようになります。今回のベータ線の測定では宇宙線はノイズなので考察対象からカットしなければなりません。

4.汚染土壌の映像解説

サイトとユーチューブに汚染土壌から放出されるベータ線の映像をアップロードしました。その映像と一緒にこの「4.汚染土壌の映像解説」を読めば多少、わかりやすいのではないかと思います。参考にしてください。

(a) アルファ線

採取してきた汚染土壌の袋を霧箱の中に入れます。霧箱では、汚染土壌から時折太くよく目立つアルファ線が観察できます。この写真では、ベータ線はアルファ線の太い飛跡にかき消されてほとんど見えていません。霧箱のアルファ線の量は、通常の土壌などに含まれている微量のトリウムやウランなどから放出される量とあまり変わりません。これを見る限りでは、プルトニウムは存在しても微量なため霧箱で議論ができる量ではないと思われます。汚染土壌図3

 (b) ラドンからのアルファ粒子

時折、何もないところから毛虫のような太いアルファ粒子の飛跡が突然でてきます。これは空気中を漂うラドンガスRn-220(別名トロン)がアルファ線をだしてポ ロニウムPoに変化するというよく知られた反応です。1回図4.ラドンなどによるアルファ線

(c) 宇宙線

汚染土壌の袋の位置と関係ない場所から細い飛跡がよく飛びかいます。このほとんどが電子、陽電子、μ粒子などの2次宇宙線と思われます。その中に、まれに高速の陽子ではないかと思われる飛跡もみられます。この飛跡の様子は、福島市街の簡易裁判所の土壌で実験中に偶然写しこまれました。かなり太い飛跡 が磁界にものともせずまっすぐ霧箱を横切っていきました。

(d) ベータ線

このようにさまざまな放射線が飛び交う中を汚染された土壌中のCsから放出されたベータ線がたくさん見えます。ベータ線の飛跡は、エネルギーの大きいものは直線の飛跡を描いて進みますが、エネルギーの小さい速度の遅いベータ線は、空気中の巨大な分子の影響を受けて右や左に蛇行して進んでいきます。1回図5ベータ線の飛跡

(e) ガンマ線

Csからガンマ線は、出ていますが、ガンマ線の飛跡は見えません。ガンマ線は波長の短い電磁波です。ガンマ線は、電子と衝突(コンプトン散乱)し突き飛ばすのでその電子の飛跡が突発的に短く見えたりします。また、Cs134からはエネルギーが最大1.365 MeVのガンマ線がでていて、電子と陽電子を発生させる対生成が起きています。ただ、飛跡が見える霧箱の過飽和層が薄いので、電子と陽電子が対で見える飛跡は数が少なく、陽電子単独の飛跡が大半です。陽電子は電子の反粒子なので、電子に出会うと電子と反電子はたちまちガンマ線となって消滅します。そのガンマ線によって体内 被ばくが発生します。1回図6.ガンマ線による陽電子の発生

(写真の磁界の向き:鉛直上向き)

(f) Csの放射性核種の割合

汚染土壌に含まれている核種はアエラ6/27号掲載の「原発事故で出た放射性核種」のデータが正しいものとして概算してみると、セシウムCs核種が全体 の94%近くになります。また新たに放出し続けている放射線は不明でこれを考慮しなければ、事故から10ヶ月たち半減期の短いヨウ素やストロンチウム98 などの不安定核は無視できます。また、プルトニウムは半減期は長いが分量が0.003%と少なく、公表された数字の桁が間違っていなければ無視して良いこ とになります。霧箱のアルファ粒子の発生頻度を見る限りでは、大きな誤差はないように思われます。

「第2回、第3回霧箱で汚染土壌を見る」は、リンクが不全で工事中です。申し訳ありません。しばらくお待ち下さい。

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原発事故を読み解くミニツール (3)

By   2011年4月13日

放射性物質はどのように飛散していくか?

原発事故が起きると、時間とともに放射性物質はどんどん周囲に拡散していく。つまり放射線源からα、β、γと呼ばれている放射線が飛散すると同時に、放射線源(放射性元素)も放射線を出しながらホコリや水蒸気と共に拡散するという、2重の飛散がおきてきます。

放射線源が一定の場所に点のように存在する場合には、よくマスコミなどで報道されるように二乗に反比例して放射線(α線、β線、γ線)は弱まるが、放射性物質も飛散し始めるとケースバイケースで一概にはいえなくなります。

放射線の被ばく線量率(時間あたりの被ばく量)を電球の明るさにたとえて考えるとわかりやすい。広い部屋の中の裸電球一個から出る光線は、距離の二乗に反比例して暗くなるが、夜店のようにあっちこちに電球やアーク灯などがあると、いくら移動しても明るさに変化はあまりなくなります。また、規模が大きい夜店だとちょっとはなれてもすぐには暗くなりません。放射性物質が拡散するにつれ、わたしたちが遭遇するケースは裸電球のケースではなく、夜店のような複雑なケースが多くなります。

事故が起きると、放射線源、あるいは放射線を出す元素は蒸気やチリに付着し、風に乗って飛散を始めます。その風上にいるのか、風下にいるのかで放射線による被曝の線量率は大きな差が出てくる可能性があります。本サイトでも、アメリカ西海岸、カナダのアクセスが増え、太平洋をまたいで運んでいく風の流れにとても敏感です。

その飛散がどのように進んで行くのか、気象条件を考慮した説得力のあるドイツ発のシミュレーションがインターネットを通じて多くの人に注目されています。
そのシミュレーションは、日本の風のデータを使い、どのようにヨウ素131が日本の周辺に(世界中に)飛散していっていくのか、その流れを動画で示しています。

われわれに入手可能な最小限のデータとシミュレーションの結果とつきあわせ、矛盾がないか確認ができるので、それについて以下で簡単にお知らせしたいと思います。

シミュレーションはUTC時刻と判断し、9時間進めて日本時刻に換算しました。日野の測定値は、その時刻に対応した値にしています。(修正3/28)

[Ⅰ]日本時間:2011年3月14日3時00
日野:0.13[μSv/h]
(日野は、ナチュラル研究所の測定データを使いました。)
3月14日までの段階では、図に見られるように西風に乗って放射性物質のほとんどが太平洋へ拡散していっている様子がよく分かります。

[Ⅱ] 2011年03月15日8:00
日野:0.13[μSv/h]
3月15日朝8時ごろ風向きが変わり、根元の部分から放射性物質の南下が始まる。

[Ⅲ] 2011年03月15日13:00
日野:0.28[μSv/h]
ピーク値:12時21分:0.61[μSv/h]
3月15日13時頃には関東一円のみならず東海地方にまで放射性物質が飛散している様子がうかがわれます。
日野のピーク時間12時21分。それより約2時間前の10時37分に和光市の理化学研究所で1.62[μSv/h]のピーク値を測定しています。

[Ⅳ]2011年03月15日21時00分
日野:0.20[μSv/h]
さらに東の風に乗って放射性物質は長野方面に流れていく。日野の測定データは、下降し、放射性物質は別な地域に去っていったかのように見えます。

[ⅴ]2011年03月16日6時00
日野:0.33[μSv/h]
ピーク値:5時42分:0.35[μSv/h]
風向きが変わり、放射性物質は再び関東に流されてくる。日野で2度目のピークが朝5時42分に観測されました。

[Ⅵ]2011年03月16日16時00
日野:0.15[μSv/h]
同日16時頃には風向きが再び西になり放射性物質は下図のように太平洋に拡散していきました。

[Ⅰ]~[Ⅵ]の時間経過とともに関東各地の放射線の強度はどのように変化していったのかというデータとシミュレーションをつきあわせてみて矛盾点は見つかりませんでした。むしろいままで気にしていなかった、揺り戻しがあって第二ピークがあることがわかるだけでなく、このシミュレーションのすばらしさを痛感しました。こうしたシミュレーションがドイツではなく日本の公機関から明らかにされないのは、まことに残念の一言につきます。

データはナチュラル研究所のデータと理化学研究所のデータを使わせていただきました。公機関のサイトでは、もう15日のデータが削除されネット上から消えつつあります。
理化学研究所のデータのピーク値を表示するグラフも15日03:00~15:00の一部です。
測定データを全面的に公開している、ナチュラル研究所に深く感謝しています。

補足

放射線の強さは理研とナチュラル研とでかなり差がある。ナチュラル研は、ピーク値0.61[μSv/h]を記録しています。そのデータはバックグラウンド放射線の分量を減じていない生の値で、他方、理化学研究所のデータはバックグラウンド0.03[μSv/h]程度を差し引いた値と思われます。従って、理研の生のピーク値は1.9[μSv/h]あたりだろうと思われます。2つの測定値に3倍近い差が生じています。
(注)ここでとりあげたシミュレーション、ナチュラル研究所、理化学研究所のアドレスは伝言板で一括紹介をしていますので、トップページ→掲示板で参照して下さい。

(注)シミュレーションの時刻はUTCと判断し、日本時刻に+9を加え修正されています。

いま、教育の姿は?

By   2008年10月1日

いま、教育の姿は?

流行歌のように変わる学習指導要領

ゆとり教育からあたらしい方向へ,また流行のように学習指導要領が変わっていく。落ちこぼれ,国際的学力低下,理科離れ,登校拒否,指示待ち研究者の増加。そして生きる力が必要だとか,応用力が必要だとか,サイエンスリタラシーが必要だとか,さまざまな分かったような言葉が、流行歌のように現れては消えていく。教育の成果は、20年以上のスパンがなければ分からないのが常識だが、文科省のキャッチコピーの賞味期限はそれに較べると驚異的に短い。もちろん、その科学的検証結果など一度も見たことがない。

政治家は徳育教育が大好きだ

政治家は,よく社会問題を教育問題に還元したがる。いじめや殺人事件がニュースになると、待ってましたとばかりに荒廃とした世情から教育に徳育教育が不十分だと力説する。しかし,財政支出がともなう1クラスの生徒の人数を減らすことには関心がとても低い。財界、政治家たちは,自分たちに,たてつかない従順な国民を金をかけないでつくりたいのでは、全くぶれないで一貫としている。

40年間、はぎ取られ続けた教育予算

財界・産業界は,このグローバル化の荒波を乗り越えるための学校教育の改造になみなみならぬ熱意は示す。そのためには,あたらしい企画をたてられ,時代の方向性を見通せる人材育成の教育が必要である。そのための資金はもっぱら国民に要求する。この40年間の間に国家は、この教育に必要な資金のほとんどを国民に要求し続けた。たとえば国立大学の授業料は、この40年間で消費者物価上昇分をさしひいても15倍以上暴騰している。教育費のハイパーインフレをかれらは一貫として推進し続け、いまでは先進国最下位になるほど教育費に金をかけない荒廃した教育立国になってしまった。40年前の日本は、国立大学の授業料を国税で負担し、人材を育成する国家であったが、いまはその費用を国民に要求し、多くの学生にローンをかかえさせ、銀行のお得意先にしてしまった。

教育の最低レベルは保証した大衆の教育は必要になる。スーパーサイエンス・スクールや飛び級制度,大学改革等に見られるようにリーダーシップを握るトップエリート教育に相当のお金をまわしている。同時に大衆教育は学習指導要領に権威を持たせそれをバイブルにしてトップダウン方式の教育を推進している。基本的にサッチヤー政権がはじめた改革をそっくり手本にして,日本での格差社会を効率よく再生する教育システムの実現がそのイメージとも言える。

子どもたちに自立した人生をスタートしてもらいたい父母にとっては,どうだろうか。わが子に豊かな生活を望まない親はどこにもいない。また,今より貧しい生活レベルへ転落することに手をこまねいている親もどこにもいないだろう。どの親も子どもが貧しい生活から自尊心を傷つけられる人生を送らせたくないという思いは,痛切ではないだろうか。

わが子だけを守ろうとする悲しい親の対応

その親たちが真っ先に感じる問題は,所得の高い層の子どもがトップ校へ入学し,所得の低い子はとそれよりレベルの低い学校へ入学する傾向が強まっていることだろう。しかも一度,下流におちてしまうと,そこからぬけだすことがとても困難になりつつある。親の所得格差がそのまま子どもの教育格差をもたらし,またその教育格差が子どもの所得格差を決定していく関係が固定化する方向に現在ますす進みつつある。こうしたことから世の親たちはわが子だけは、ーーーと教育問題に相当のストレスを感じているだろう。

社会階層の分化とその固定化は,教育問題と言うよりは社会問題そのものである。医者,弁護士,国家官僚,議員などが親から子へとあたかも世襲制のごとく社会的地位を維持・伝承していくためには,「教育」の果たす役割はとても大きい。ただ,くれぐれも誤解してはいけないのは,このときの「教育の役割」とは「人間をのばす教育の役割」という意味ではなく,「人間をあきらめさせるための教育の役割」という意味がどんどん強力になりつつあるということである。とても多くの人が,このところ後者の「教育」をこれこそ本来の教育だ、ととんでもない誤解をいだきはじめている。本来の「教育」は人間のプラスの面を伸ばすことにある。そのために多くの時間と着実な努力が必要であり,特効薬のような方法はどこにもない。ころころと学習指導要領をいじくりまわしてはいけないのである。

自己放棄を推進する特効薬としての教育

しかし,「教育」は,やり方によっては人間に希望を失わせたり,自分の能力に失望させたり,夢をあきらめさせたりするのに特効薬のような効果を短時間で発揮させることもできる。教育の怖いマイナス面である。日本の教育は,この20年ほどの間にマイナスの教育をより徹底的に効果的を発揮するシステムへと手を変えしなをかえて、改造されつつある。ゆとり教育の廃止は、効率が悪いとみるとあっというまに賞味期限切れと見なされてしまった。

マイナスの教育が子どもたちの人生に与える時期がどんどん早まってきている。この20年間の間に学校の格差を広げ,高校から中学,中学から小学校へ早い段階へと競争がより徹底的にもちこまれてきた。子どもたちはじっくり勉強をしているどころではなく,追い立てられるように物事に取り組まざるを得ず,教育の場にストレスが常駐するようになってきている。こうしたマイナスの教育システムを通して,子どもたちは早めに自分の将来の夢や自分の能力をあきらめる結果をもたらされている。このときドロップアウトを免れた子供たちには、教育のマイナスの特効薬による効果をあたかも教育による成長と錯覚させている。

おぼれる教育行政

わが子にはやばやと希望に満ちた将来を断念させたくないと思い,塾や予備校に通わせ受験競争にのめりこむのは,基本的には親たちが教育の甚大なマイナス効果からわが子だけを守るための悲しい行動といっていいだろう。そして,いまは親たちの悲しい行動を教育界は、諸手を挙げて積極的に支援に乗り出してきている。このところついに,公教育の中にまで塾や予備校が入り込むことが許容され,学力テスト順位が公開され、教育の混乱はただごとではない。ここに教育行政は、自分の姿を完全に見失って情況に飲み込まれおぼれてしまっていると言わざるを得ない。

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