By   2020年5月22日

       レントゲンのリスク意識(1)                                                                               

                            A5MSPV6.07                                           森雄兒

第1章 X線の発見

□1ー1.はじめに

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図1.W.C.レントゲン

W.レントゲンが正体不明のX線の存在に気づき、実験を始めたのが1895年11月10日といわれている。時代は、もう新しい事は何も起きないだろうという閉塞感が漂う19世紀末である。彼は一人実験室にこもり、自分の体の骨を映し出す現象を前に、X線まみれになりながら研究を行っている。

彼が、こうした不思議な現象に直面したのは、宇宙に充満しているエーテルを伝播している縦波の波動現象を探索している途上おいてのようである。当時、陰極線の実験は多くの科学者が行っていた平凡な追試だが、一瞬見えた不思議な発光現象をレントゲンは見逃さなかった。

レントゲンが発見したX線は、人体を透過し、体内の骨が丸見えになった。しかし、X線の発見は、世界中から恐怖ではなく絶賛をもって受けいれられた。そして、こうした摩訶不思議な線は他にもあるにちがいないと、ただちに第2、第3のX線探しが始まった。そういう動きを待っていたかのように、1ヶ月後、フランスのベクレルによってウラン鉱石から放射している新しい線が発見された。 

 当時の日常生活の中には、ノーベル賞クラスの説明できない現象がひっそりと存在していた。通常はその原因を「不良品の感光板」のようないわれのないせいにしてしまい、その正体を封印してしまっていた。そのような閉塞的な雰囲気の世紀末において、これほど不思議なX線が社会の中で公然とその存在が認知され、世紀末の空気を一変させてしまった。その結果、X線発見以降はまるで連鎖反応でも起こしたようにベクレル、キュリーと放射線、原子核関連の発見が相次ぎ、20世紀の核の新時代の扉が突然開かれていった。

 こうして「X線研究」というレントゲンの研究活動が、多くの人に新しい知見をもたらすと同時に放射線障害も及ぼしていく歴史がはじまった。その後の科学者の多くは「知的創造」の場面に携わり、被ばくという「負の遺産」は、大部分が市民、作業員、兵士を被爆者として引き受ける分業体制の中で生きていくことになる。こうしてみると、レントゲンは放射線を発見した「創造的知性」の人であるとともに、その結果、X線にまみれて被爆する「負の遺産」も自分の肉体で受け止めるという特別な境遇を生きた人ともいえる。

自分の輝かしい「人生の結晶」が他者を傷つける、という問題を冗舌に語る人はほとんどいないだろう。また、それについて語っている資料はとても少ない。「創造的知性」と「負の遺産」の分業化がさらに徹底している現在においては、そこに潜む問題点を解きほぐすことがだんだんむずかしくなっている。

以下ではそういう特別な境遇にあったW.レントゲンをとりあげ、彼の歴史的発見の背後にひっそりと横たわる「被ばく」という「負の遺産」を彼がどのようなリスク意識でとらえたのか、という視点から「X線の発見」過程をたどり返してみたい。まずは、レントゲンがとった最初のリスク対策といえる、「X線発見」を公表するためにとった特異な情報戦略の話からはじめてみよう。

「1-2.不吉なX線」へ続く
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