By   2020年5月12日

  中・高校生が「重さ」と「質量」に混乱しないための対策

 現在の中・高校生を中心に、理科を学習中の人(就活中で、クレーンなどの資格を取得するために勉強中の人)も含めて「kgの意味がわからない。」、「重さ、質量、重量、荷重の区別が分からない。」ことで混乱している人が多数いることがわかってきました。
 サイトのこれまでの記事を読んでその原因は、「質量と重さの混用政策」であることがわかってきたと思います。その混乱に中にいつまでもとどまっていたいと思う人は誰もいないと思います。誰しも、不安になる混乱はできるだけ早く、解決したいと、思うものです。今回は、その対策について考えてみます。

(1)最善の対策
 最善の対策の中身は簡単です。
「質量」と「重さ、重量など」の混用政策を即刻やめる事です。 現在、政府は公言しないように(ほぼ秘密に)していますが、国民が生活で使える「重さ、重量:kg重」の単位を廃止したので、いま国民が生活で商品売買に使える「重さ」の単位は、実は何もありません。だから、代わりに「質量」を「重さ」と呼ばせて(擬装させて)混用をさせています。

 従って、擬装を止めるためには、今まで使っていた「kg重」という重さの単位を引き続き使えるようにまずもとに戻すことが必要です。
そして商品売買は、「質量:kg」と「重さ:kg重」の2つの単位のいずれを使っても良いことにして、国民は好きな方を、あるいは理解できる方を使えばよいのです。

 この2つを実行すれば、「kg」の意味は「質量」と科学用語どおり正しく規定し、力の単位も正しく「kg重」と「ニュートン」となり、科学用語を生活の場で擬装したり、混用させ生徒を混乱させる必要がなくなります。

 物理学に無関係な生活人は商品売買のさい「重さ:kg重」を用い、工場や研究所で物理学に従って単位を統一的に使用したい人は「質量:kg」を用います。はかりの目盛りは「kg重」と「kg」の2重表示が可能になります。(はかりにKg重のラベルを貼ればすむことです。)

 このように「質量」と「重さ・重量」を明確に区別し、「重さ:kg重」と「質量:kg」をどちらでも使用可能とするのが、混乱を回避する理にかなった混用政策というものです。この区別に国民が慣れて、徐々に「重さ」のない宇宙ステーションと「重さ」のある地上との往来する人が増加する宇宙時代になれば、「質量」だけでよいというユーザーが増えるかもしれません。そして、もしかして「重さ」を無用とし、「質量」のみを法定計量単位でまかないうる時代がくれば、計量物理学者の桃源郷が到来するかもしれません。

(2)次善の対策
 何が何でも「質量:kg」だけの一貫した単位系にしたい。Kg重など過去の遺物のようなどんくさい単位などとんでもない―――これこそが日本国家のためだという、信念を持ってしまった計量物理学者と忖度官僚と業界が中心になって、計量法を改正(改悪)させてしまいました。これに対して、ラベルを貼ってすむ部分修正がどうしてもできない場合、この混乱をどうかわすか、その次善の対策を考えてみましょう。

○端的にいえば、以下の「科学の用語」と「生活の用語」を各自で明確に区別する他ありません。
・科学用語では、「重さ」は「力:N」です。「質量」は「物質の分量:kg」です。
・生活用語では、「重さ=質量=重量=荷重=―――:kg」です。(混用政策)
しかたがないので、試験直前だけでも2つは別世界と割り切って、上記のことを丸暗記するのがもっともストレスがかからない方法です。

 「kg:質量(物体の分量の意味)」は、科学の世界の中心的とも言える概念ですが、それを知らなくても物理系の専門職でなければ、ほとんどの職業で何の問題もなく生活ができます。ただ、子供たちは理系文系にかかわらず、将来を考えると少し心配になります。生活と科学は深くつながった同じ世界であるにもかかわらず、異なる言葉の意味で使われているのは不合理ですが、正しい、科学用語の意味をできるだけ「実はーーー、」と心の片隅においておくことが望ましいでしょう。

 たとえば、新聞にはよく「ニュートリノの重さ(質量)を発見!」などという変な括弧付きの記事をよくみかけると思います。多分、それを書いている新聞記者自身も納得がいかないで書いていると思います。そんな記者の気持ちを忖度すれば―――俗な言葉では「ニュートリノの重さ」だが、本当は「ニュートリノの質量」という意味だけども―――とでも思いながら、仕方なく「重さ(質量)」などと変なこと書いているのではないでしょうか?いずれ、こうした国家の混用政策に対して、なんとアホなーーーとみんなが公言する日がやってくることでしょう。

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