Category Archives: 森のコラム

原発事故を読み解くミニツール (3)

By   2011年4月13日

放射性物質はどのように飛散していくか?

原発事故が起きると、時間とともに放射性物質はどんどん周囲に拡散していく。つまり放射線源からα、β、γと呼ばれている放射線が飛散すると同時に、放射線源(放射性元素)も放射線を出しながらホコリや水蒸気と共に拡散するという、2重の飛散がおきてきます。

放射線源が一定の場所に点のように存在する場合には、よくマスコミなどで報道されるように二乗に反比例して放射線(α線、β線、γ線)は弱まるが、放射性物質も飛散し始めるとケースバイケースで一概にはいえなくなります。

放射線の被ばく線量率(時間あたりの被ばく量)を電球の明るさにたとえて考えるとわかりやすい。広い部屋の中の裸電球一個から出る光線は、距離の二乗に反比例して暗くなるが、夜店のようにあっちこちに電球やアーク灯などがあると、いくら移動しても明るさに変化はあまりなくなります。また、規模が大きい夜店だとちょっとはなれてもすぐには暗くなりません。放射性物質が拡散するにつれ、わたしたちが遭遇するケースは裸電球のケースではなく、夜店のような複雑なケースが多くなります。

事故が起きると、放射線源、あるいは放射線を出す元素は蒸気やチリに付着し、風に乗って飛散を始めます。その風上にいるのか、風下にいるのかで放射線による被曝の線量率は大きな差が出てくる可能性があります。本サイトでも、アメリカ西海岸、カナダのアクセスが増え、太平洋をまたいで運んでいく風の流れにとても敏感です。

その飛散がどのように進んで行くのか、気象条件を考慮した説得力のあるドイツ発のシミュレーションがインターネットを通じて多くの人に注目されています。
そのシミュレーションは、日本の風のデータを使い、どのようにヨウ素131が日本の周辺に(世界中に)飛散していっていくのか、その流れを動画で示しています。

われわれに入手可能な最小限のデータとシミュレーションの結果とつきあわせ、矛盾がないか確認ができるので、それについて以下で簡単にお知らせしたいと思います。

シミュレーションはUTC時刻と判断し、9時間進めて日本時刻に換算しました。日野の測定値は、その時刻に対応した値にしています。(修正3/28)

[Ⅰ]日本時間:2011年3月14日3時00
日野:0.13[μSv/h]
(日野は、ナチュラル研究所の測定データを使いました。)
3月14日までの段階では、図に見られるように西風に乗って放射性物質のほとんどが太平洋へ拡散していっている様子がよく分かります。

[Ⅱ] 2011年03月15日8:00
日野:0.13[μSv/h]
3月15日朝8時ごろ風向きが変わり、根元の部分から放射性物質の南下が始まる。

[Ⅲ] 2011年03月15日13:00
日野:0.28[μSv/h]
ピーク値:12時21分:0.61[μSv/h]
3月15日13時頃には関東一円のみならず東海地方にまで放射性物質が飛散している様子がうかがわれます。
日野のピーク時間12時21分。それより約2時間前の10時37分に和光市の理化学研究所で1.62[μSv/h]のピーク値を測定しています。

[Ⅳ]2011年03月15日21時00分
日野:0.20[μSv/h]
さらに東の風に乗って放射性物質は長野方面に流れていく。日野の測定データは、下降し、放射性物質は別な地域に去っていったかのように見えます。

[ⅴ]2011年03月16日6時00
日野:0.33[μSv/h]
ピーク値:5時42分:0.35[μSv/h]
風向きが変わり、放射性物質は再び関東に流されてくる。日野で2度目のピークが朝5時42分に観測されました。

[Ⅵ]2011年03月16日16時00
日野:0.15[μSv/h]
同日16時頃には風向きが再び西になり放射性物質は下図のように太平洋に拡散していきました。

[Ⅰ]~[Ⅵ]の時間経過とともに関東各地の放射線の強度はどのように変化していったのかというデータとシミュレーションをつきあわせてみて矛盾点は見つかりませんでした。むしろいままで気にしていなかった、揺り戻しがあって第二ピークがあることがわかるだけでなく、このシミュレーションのすばらしさを痛感しました。こうしたシミュレーションがドイツではなく日本の公機関から明らかにされないのは、まことに残念の一言につきます。

データはナチュラル研究所のデータと理化学研究所のデータを使わせていただきました。公機関のサイトでは、もう15日のデータが削除されネット上から消えつつあります。
理化学研究所のデータのピーク値を表示するグラフも15日03:00~15:00の一部です。
測定データを全面的に公開している、ナチュラル研究所に深く感謝しています。

補足

放射線の強さは理研とナチュラル研とでかなり差がある。ナチュラル研は、ピーク値0.61[μSv/h]を記録しています。そのデータはバックグラウンド放射線の分量を減じていない生の値で、他方、理化学研究所のデータはバックグラウンド0.03[μSv/h]程度を差し引いた値と思われます。従って、理研の生のピーク値は1.9[μSv/h]あたりだろうと思われます。2つの測定値に3倍近い差が生じています。
(注)ここでとりあげたシミュレーション、ナチュラル研究所、理化学研究所のアドレスは伝言板で一括紹介をしていますので、トップページ→掲示板で参照して下さい。

(注)シミュレーションの時刻はUTCと判断し、日本時刻に+9を加え修正されています。

[森のコラム] 宇宙ステーションで考える「質量と重さ」

By   2009年9月10日

スカイラブで、宇宙飛行士の質量は、どう測定されたか?

(注)画像が原因不明で消滅し、現在復旧中です。お見苦しい点がありますが、しばらくお待ちください。

はじめに

物理の教科書では、力の単位がニュートン一色になっています。高校生にとってはニュートンという単位は、物理の教科書以外では登場しない、孤立した単位なので、さまざまな問題が生じています。ここでは身近な教材として有名なNASAのスカイラブのプロジェクトでの「宇宙飛行士の質量の測定」のことを取り上げてみます。報告に対して、コメント欄から皆様の積極的なご意見やアドバイスをお寄せください。

1.スカイラブ(Sky Lab)について

spacelab
図1.Sky Labの全景

Sky Labは、人間の長期宇宙滞在に関連するさまざまな実験をすることを目的として、1973年5月25日にNASAが打ち上げた宇宙ステーションです。実験室はアポロサターンV型ロケットを利用し、その直径は6.6m、長さ24.6mもあり、容量270m3 で、60畳もの部屋に相当する巨大な実験空間です。この実験室は1973年から1979年まで地球周回軌道にあり、医学、天体物理、地球資源探査、太陽観測、などの活動をした。残念ながら、大気との空気抵抗により徐々に軌道からはずれ、1979年7月11日に地球に落下し消滅してしまいました。
その間、宇宙飛行士の活動によってさまざまな教育のための実験映像も得られた。それをAAPTで編集し、教材用ビデオやその意図を解説したTeachers Guideのパンフレットも制作されました。


図2.SKYLAB内部の寸法

2.Sky Labでの宇宙飛行士の質量の測定方法について

図3は宇宙飛行士が質量測定機BMMD(THE BODY MASS MEASUREMENT DEVICEの略)を使っているビデオシーンです(図3)。その中に「674146」という数値が表示されるシーンがあります(図4)。この数値は一見すると宇宙飛行士の質量が㎏で67.4146㎏と表示されたかのようによく誤解されているようです。この数値と画面の宇宙飛行士の体格をくらべるとあきらかに少なすぎるようにみえます。解説マニュアルで確認してみると、その値は質量ではなく、振動周期3回分の値であることが記載されていました。(たとえば、図6の3行目もそれに関する記述。)


図3.質量測定機に乗る飛行士


図4.質量測定機の表示部分

本当に飛行士の振動周期が3T=6.74146秒であるか、念のため、そのビデオの映像をコマ送りして周期を求めてみると数値がほぼ一致していました。T=2.24715秒、この周期のデータから計算で質量を求める、というのがBMMDのシステムのようです。マニュアル(図6)をみると校正データとしてunloaded chairの周期が3T0=2.70446、ともう一つの構成データ(自重+30.94lbs.、3回分の周期3.74937秒)も記載されています(図6)。


図5.質量測定機の構造

その値とT=2π√m/k の式からSI単位系に換算してBMMDの自重約15.12㎏、と弾性定数7.394×102[N/m]を計算し求めることができます。次に、ビデオ映像に表示されてた値6.74146秒を周期に直し、T=2.24715秒から宇宙飛行士質量を計算すると、約79.45㎏の値が得られます。これなら、映像の宇宙飛行士をみて妥当な数値だろうと思われます。また、念のため校正データで検算してみると、対応する質量の値と一致しました。


図6.質量測定機のデータ

3.宇宙では、重力単位系かSI単位系か?

よくいわれることですが、NASAは日本のようなSI単位系の優等生ではありません。そのせいだけではないでしょうが図6.のデータをよくながめてみると、腑に落ちない数字や興味を引く記述もあることに気がつきます。
例えば、校正データの欄が、なぜかHouston Weight(lbs.)で表記されています。また、AAPTの編集者による注だと思いますが、データの下には、「Houston Weight(lbs.)が便利」である指摘とともに「教師、生徒の混乱を最小にするためにlbs Houston Weightを質量の㎏に変換した方がよい。」という興味深い注もあり、日本の現状と比べまるで謎のようです。

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いま、教育の姿は?

By   2008年10月1日

いま、教育の姿は?

流行歌のように変わる学習指導要領

ゆとり教育からあたらしい方向へ,また流行のように学習指導要領が変わっていく。落ちこぼれ,国際的学力低下,理科離れ,登校拒否,指示待ち研究者の増加。そして生きる力が必要だとか,応用力が必要だとか,サイエンスリタラシーが必要だとか,さまざまな分かったような言葉が、流行歌のように現れては消えていく。教育の成果は、20年以上のスパンがなければ分からないのが常識だが、文科省のキャッチコピーの賞味期限はそれに較べると驚異的に短い。もちろん、その科学的検証結果など一度も見たことがない。

政治家は徳育教育が大好きだ

政治家は,よく社会問題を教育問題に還元したがる。いじめや殺人事件がニュースになると、待ってましたとばかりに荒廃とした世情から教育に徳育教育が不十分だと力説する。しかし,財政支出がともなう1クラスの生徒の人数を減らすことには関心がとても低い。財界、政治家たちは,自分たちに,たてつかない従順な国民を金をかけないでつくりたいのでは、全くぶれないで一貫としている。

40年間、はぎ取られ続けた教育予算

財界・産業界は,このグローバル化の荒波を乗り越えるための学校教育の改造になみなみならぬ熱意は示す。そのためには,あたらしい企画をたてられ,時代の方向性を見通せる人材育成の教育が必要である。そのための資金はもっぱら国民に要求する。この40年間の間に国家は、この教育に必要な資金のほとんどを国民に要求し続けた。たとえば国立大学の授業料は、この40年間で消費者物価上昇分をさしひいても15倍以上暴騰している。教育費のハイパーインフレをかれらは一貫として推進し続け、いまでは先進国最下位になるほど教育費に金をかけない荒廃した教育立国になってしまった。40年前の日本は、国立大学の授業料を国税で負担し、人材を育成する国家であったが、いまはその費用を国民に要求し、多くの学生にローンをかかえさせ、銀行のお得意先にしてしまった。

教育の最低レベルは保証した大衆の教育は必要になる。スーパーサイエンス・スクールや飛び級制度,大学改革等に見られるようにリーダーシップを握るトップエリート教育に相当のお金をまわしている。同時に大衆教育は学習指導要領に権威を持たせそれをバイブルにしてトップダウン方式の教育を推進している。基本的にサッチヤー政権がはじめた改革をそっくり手本にして,日本での格差社会を効率よく再生する教育システムの実現がそのイメージとも言える。

子どもたちに自立した人生をスタートしてもらいたい父母にとっては,どうだろうか。わが子に豊かな生活を望まない親はどこにもいない。また,今より貧しい生活レベルへ転落することに手をこまねいている親もどこにもいないだろう。どの親も子どもが貧しい生活から自尊心を傷つけられる人生を送らせたくないという思いは,痛切ではないだろうか。

わが子だけを守ろうとする悲しい親の対応

その親たちが真っ先に感じる問題は,所得の高い層の子どもがトップ校へ入学し,所得の低い子はとそれよりレベルの低い学校へ入学する傾向が強まっていることだろう。しかも一度,下流におちてしまうと,そこからぬけだすことがとても困難になりつつある。親の所得格差がそのまま子どもの教育格差をもたらし,またその教育格差が子どもの所得格差を決定していく関係が固定化する方向に現在ますす進みつつある。こうしたことから世の親たちはわが子だけは、ーーーと教育問題に相当のストレスを感じているだろう。

社会階層の分化とその固定化は,教育問題と言うよりは社会問題そのものである。医者,弁護士,国家官僚,議員などが親から子へとあたかも世襲制のごとく社会的地位を維持・伝承していくためには,「教育」の果たす役割はとても大きい。ただ,くれぐれも誤解してはいけないのは,このときの「教育の役割」とは「人間をのばす教育の役割」という意味ではなく,「人間をあきらめさせるための教育の役割」という意味がどんどん強力になりつつあるということである。とても多くの人が,このところ後者の「教育」をこれこそ本来の教育だ、ととんでもない誤解をいだきはじめている。本来の「教育」は人間のプラスの面を伸ばすことにある。そのために多くの時間と着実な努力が必要であり,特効薬のような方法はどこにもない。ころころと学習指導要領をいじくりまわしてはいけないのである。

自己放棄を推進する特効薬としての教育

しかし,「教育」は,やり方によっては人間に希望を失わせたり,自分の能力に失望させたり,夢をあきらめさせたりするのに特効薬のような効果を短時間で発揮させることもできる。教育の怖いマイナス面である。日本の教育は,この20年ほどの間にマイナスの教育をより徹底的に効果的を発揮するシステムへと手を変えしなをかえて、改造されつつある。ゆとり教育の廃止は、効率が悪いとみるとあっというまに賞味期限切れと見なされてしまった。

マイナスの教育が子どもたちの人生に与える時期がどんどん早まってきている。この20年間の間に学校の格差を広げ,高校から中学,中学から小学校へ早い段階へと競争がより徹底的にもちこまれてきた。子どもたちはじっくり勉強をしているどころではなく,追い立てられるように物事に取り組まざるを得ず,教育の場にストレスが常駐するようになってきている。こうしたマイナスの教育システムを通して,子どもたちは早めに自分の将来の夢や自分の能力をあきらめる結果をもたらされている。このときドロップアウトを免れた子供たちには、教育のマイナスの特効薬による効果をあたかも教育による成長と錯覚させている。

おぼれる教育行政

わが子にはやばやと希望に満ちた将来を断念させたくないと思い,塾や予備校に通わせ受験競争にのめりこむのは,基本的には親たちが教育の甚大なマイナス効果からわが子だけを守るための悲しい行動といっていいだろう。そして,いまは親たちの悲しい行動を教育界は、諸手を挙げて積極的に支援に乗り出してきている。このところついに,公教育の中にまで塾や予備校が入り込むことが許容され,学力テスト順位が公開され、教育の混乱はただごとではない。ここに教育行政は、自分の姿を完全に見失って情況に飲み込まれおぼれてしまっていると言わざるを得ない。

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