By   2016年11月22日

レントゲンとX線のリスク意識

--創造的知性と負の遺産--

森 雄兒

第2章 レントゲンとX線障害

□ 2ー1.X線ブームとX線障害

ほとんどの大学の物理学科には真空放電用の実験装置が備えられていたので、X線発見の報告を受けて、各地でその追試が行われた。ただ、イギリスのように真空度の低い放電管が多数使われていた地域的な事情にくわえ、電源電圧が低いことから追試に失敗するケースが多発し、一時イギリスからレントゲンの発表は虚偽であるという報告もみられた。この種の誤解はレントゲンが最も恐れていたことだろうが、追試成功の事例が相次いで公表されたためこれはまもなく沈静化に向かっている。

たとえば、ウィーン大学では同年1月17日には、もう生理学教授のジグムントらによって、前腕の骨折や銃弾のはいった手などのX線写真を自前で撮影し、医療への応用研究をスタートさせている。これは苦しむ兵士に対して手探りで銃弾の位置をさぐる当時の医療方法にとって革命的な進歩であった。同年2月にはキャベンディシュ研究所の物理学者J.J.トムソンが、X線によって空気中に電離作用がおきることを確認し、レントゲンが第1報でやりのこした課題があっという間に報告されている。

当時科学の後進国だったアメリカでは、発明王といわれていたT.エジソン%e5%9b%b3%ef%bc%98%ef%bc%8e%e3%82%a8%e3%82%b8%e3%82%bd%e3%83%b3が「エンターテイメントとしてのX線」に最も早く反応した。彼は、全社をあげ、不眠不休の体勢でX線による「透視用暗箱(Flouroscope)」や「X線による照明装置」の開発に取り組んでいる。「透視用暗箱」とは図9のように対象物にX線を照射し、それを蛍光スクリーンで受けその透過映像を暗箱の中からリアルタイムで確認する装置である。この装置は、明るい場所においてもX線の透過映像を様々な角度からリアルタイムで観察できたため、市民を驚愕させる見世物になった。同年5月のニューヨークの電灯協会博覧会で、エジソンがこうし%e5%9b%b3%ef%bc%99%ef%bc%8e%e9%80%8f%e8%a6%96%e7%94%a8%e6%9a%97%e7%ae%b1たX線の公開実験を実施したところ、X線の透視用映を一目見ようと驚異的な数の市民が見物に押しよせている。この装置は画期的ではあったが、モデルはもちろんその観察者も何のX線防護も施されておらず、リアルタイムでX線に被ばくし続ける危険な見世物であった。現在のCTスキャンの原型とも言える。
その後「エジソンのX線キット」が一般に売りに出され、こうして種のない危険なマジックが、市民のための娯楽や大道芸の仲間入りをしていく。
この開発過程でエジソンは目を痛め、エジソンの助手のクリアランス・ダリは連日実験のモデルを長時間つとめたためX線被ばくによる火傷や潰瘍を発症している。その後ダリは、潰瘍からガンを発症し両腕を切断するが、1904年39才で死亡している。X線被ばくによる最初の犠牲者と言われている。その%e5%9b%b310%e3%83%80%e3%83%aa%e3%81%ae%e6%89%8b後、エジソンは、X線の商品化から撤退する経営判断を下すが、身体に障害を及ぼす直接の原因はX線によるものとは認めることができなかった。エジソンは真理を追究する科学者や技術者というよりも科学技術をあやつるエンターティナーという際立った個性の持ち主であった。そうした彼の個性は「驚異的性質と深刻なリスク」を併せ持っていたX線の存在を客観的に受け入れらず、彼の弱点をさらけ出してしまったといってよいだろう。

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▒ 2-2.レントゲンの被ばく環境

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