By   2019年5月31日

   

「質量も重さもわけがわからない!」という中学生の声より
―――理科(物理)の学習者に起きている「質量と重さ」の大混乱


                          森 雄兒

🔲 2年ほど前、中学生のためのある理科の受験サイトで「質量も、重さもわけがわからない!」という悲鳴のような投稿を偶然見つけました。私は、その声に接してとても驚きました。
 いままで中・高校生は「重さはわかるけど、質量はわからない!」というのが、ほとんどの反応でした。ところが、「質量」どころか毎日使っている「重さ」までわけがわからなくなったーーという声を聞いたからです。これは、今までなかった深刻な現象です。

この中学生は、科学の考え方や理解力を身に着け始めた伸び盛りの生徒だと思います。その生徒は科学の考え方がよくわかりはじめたにもかかわらず、「質量と重さ」についてまったく納得がいかなくなったのだと思います。この声と同じ現象は、実は中学生だけでなく、高校生、大学生、就活などで真剣に物理を再学習している社会人にも同じことが起きています。

🔲 この原因は、一言でいえばいままで生活で使っていた「重さ:kg重」での商品売買を禁止し、「質量:kg」で売買することを法律で義務化してしまったことが発端です。あなたは、このことをご存知でしたか?(注1)この改正で採用された新しい単位システムは「国際単位系の統一」ともよばれていますが、その中身は「SI単位」以外は認めないので、「全面SI化」とも呼ばれているシステムです。

そのSI単位で身近な例をあげれば、「質量:kg」、「重さや力:N(ニュートン)」、「時間:s(秒)」などという単位です。この単位系は、質量kgや重さN(ニュートン)を使っているため、一般市民の生活にはほぼ無縁な単位ですが、最先端の科学技術者をはじめ多くの研究者、技術者など産業界にとっては最も有能な単位として評価されています。

🔲 1992年に「計量法」という法律が改正され、毎日の商品売買において使われていた「重さ:kg重」の単位を使うことが禁止され、私たちは、毎日の商品売買を「質量:kg」で行うことを法律で義務づけられましたが、残念ながら計量法の立法時に、経産省は国民に向かってその内容を誠実に説明する意思はみられませんでした。マスコミも、何故か(委縮して?)この問題の本質から外れた話ばかり報道し、肝心なことは全く報道しませんでした(注2)。

🔲 この法律のために、いま日本中に「質量と重さ・重量」の混乱が起きているのですが、ほとんどの人はなんだか「ヘンだ!」と感じていても何がおきているのか、ということが分かっていない状態です。「質量も重さもわけがわからない!」という声をあげたその中学生は、「質量と重さ」の混乱に気がつきはじめたのですが、ただそんなことが、何故起きているのかということが全く分からなかったのです。

🔲 2年ほど前に、高校の新2年生を対象に「kgの意味は何?」というテーマでその理解状況の調査をしました。対象は高校受験をかなり優秀な成績で突破した集団でしたが、その調査結果は中学生のあげた声と全く同じで、ほぼ全員が「わけがわからない」状態でした。正答した数少ない生徒も、「わけがわからない。」とコメントし、「kgの意味」が「質量」なのか、「重さ」なのか、「重量」なのか、納得がいかないままに丸暗記していた壊滅的な理解の状態でした。念のため少数ながら大学生(理科教育系、工学部系)にも聞き取り調査したところ結果は同じでした。

就活中の社会人が転職のためクレーンの運転などの資格取得のためによく力学を再学習します。そういう人が「いくらテキストを読んでも質量と重さ、重量の区別がつかない。」という深刻なコメントを述べています。経産省の官僚、計量物理の専門家、計量関連の評論家や関連業界などの人々を除けば、いま日本でほとんどの人は、「質量も重さもわけがわからない!」状態がなぜ起きているのか、その原因がよくわからないとういうのが実情だと思います。

🔲 では、計量法改正によって、商品売買で「質量」概念が国民に義務化され、その結果なぜ「質量も重さもわけがわからない!」現象がこれほど広汎に起きてしまったのか、ということに話を進めましょう。

高校生が物理を系統的に学習しても「質量」概念を理解し、その学力が定着する生徒は1割以上になることはない、というのが私の物理教師としての体験です。「質量」概念はそれほど難解な概念ではありませんが、日常生活ではほとんど「重さ」で用がたりてしまうため、「質量」概念を使う必要がないので定着しないのです。「質量」概念を常によく理解している人というのは、頻繁にその概念を仕事で使わざるを得ない理系の科学者、技術者、理系の教育関係者などで、常に物体に運動方程式をたててその現象を考えなければならない人たちです。

このようにみてくると、国民全員に対して商品売買を「質量」で義務化させるのは不可能なのは常識であることが良くわかると思います。ところが、経産省はそれを承知の上で、「計量法」を改正し全国民に「質量」を義務化してしまいました。

🔲 もし、経産省が商品売買で「質量」義務化する事実を国民に対して誠実に知らせた上で、法案を成立させようとすれば、どうなったでしょうか。もちろん、全国民から非難ごうごうで、袋叩きに合うのは必至だったでしょう(注3)。そうなれば物陰にかくれていたポピュリストの全国紙の新聞も今度は大々的にと非常識と報道してくれたかもしれません。しかし経産省がとった対策は、事実を伝えるどころか、以下のような手品まがいのあってはならない言葉の「擬装」でした。

経産省「SI単位等普及推進委員会」は、「質量:kg」の「質量」という言葉は、「重さ、重量、荷重などという言葉で置き換えてもよいとする、言葉の「擬装」(注4)を許容する方針を推進してしまいました。これには本当に驚きました。 「kg」という記号さえ間違いなく使えば言葉は「質量」でなくともほかの言葉で置き換えてもよいとしたのです。

これは行政権力が自然科学の用語の意味を自分の都合で歪曲し、「質量と重さ・重量」などの区別を放棄させ、混同させることを意味しています。これを「質量と重さ」の混用政策とも呼んでいます。

🔲 実はこの問題は117年も前の第3回国際度量衡会議においてとりあげられています。当時「質量と重さ」の混乱が深刻な問題となり、この2つを混同しないための決議声明がなされています(注5)。ところが経産省は、この第3回国際度量衡会議声明を無視し、「質量、重さなど」の混用を許容する政策を積極的に推進していったのです。従って、これは「質量と重さ」の混乱が国民に起きることを熟知の上での行動だったと言ってよいでしょう。

この混用政策を実行し、国民に「質量と重さ・重量」などを区別できない状態にして混乱させてしまえば、問題の所在が不明になり、「質量の義務化」も「重さの義務化」と区別がつかなくなり、経産省は国民の非難をかわせると読んだのではないでしょうか。

🔲 経産省の混用政策が推進されるようになると、官公庁の法令、マスコミの報道が「質量」を「重さや重量」に擬装する方向にどんどん変化していきました。たとえば、計量法改正後に総務省傘下の郵便局では「荷物の質量:5kg」とすべきところを「荷物の重量・重さ:5kg」などという奇妙な表記がなされ、国土交通省などの法令もこうした混用路線で記述されました。マスコミでは、NHKは「質量:kg」から「重さ:kg」に変化し、梶田氏のノーベル賞授賞記事での全国紙の新聞の大見出しは「ニュートリノの質量発見」と「ニュートリノの重さ発見」に分かれて動揺しています。英字新聞はもちろん「質量(Mass)発見」です。これと類似した混乱があちこちに見られるようになりました。

🔲 計量法改正後、さきに述べたように郵便局などでは「質量」を「重さ、重量」という言葉で置き換え「重さ、重量:5kg」などというカタログが平然と作られましたが、これを見た中学生、高校生、大学生も含め国民は、あたかもまだ「重さ」の単位が実在しているかのように錯覚させられたと思います。しかし、もう「重さ:kg重」の単位は商品売買の単位から廃止されて存在しないのです。

他方、公教育の場の理科や物理の教科書まで「質量:kg」を「重さkg=重量kg=力kg=―――」などで「擬装」はできません。教科書の著者たちが、いくらなんでも非常識と猛反発することでしょう。しかし、教科書では「重さ」の擬装はできず、また「重さ:kg重」の単位は使えなくなったので、その代わりに生活でほとんど使わない「N:ニュートン」という「重さ、力」の単位を強引に中学校から導入させました。こうして、生徒はまるで隕石でも降ってきたように突然出現した生活実感ゼロのN(ニュートン)の単位を丸暗記する羽目になりました。

こうした中で、多くの生徒は郵便局の「重さ:kg」を言葉が擬装されているとは思わず、教科書の「重さ、力:N(ニュートン)」と同じ「重さ」だと信じて、「kg=N=力の単位」というとんでもない間違いをまにうけ、「質量も重さもわけがわからなく」なっていきました。

🔲 このように言葉の擬装によって理科や物理の学習者を中心にさまざまな混乱が起きていきました。この原因は、国民の状況を無視して強引に商品売買の単位を「質量」にしたことが発端です。「質量の義務化」など不可能であるにもかかわらず、それを国民にばれないように推進するために言葉の「擬装」をし、子供だましのようなつじつま合わせの政策を推進し、理科のみならず科学教育をうけている日本中の生徒たちに大混乱を引き起こしているのです。

🔲 「質量も重さもわけがわからない!」という中学生の声は、さきに述べたように「質量と重さ」の意味が混乱していることには、気が付いたが、「どうしてこんな納得がいかないことが起きるのか、わけがわからない!」と言う意味だろうと思います。つまりは、徐々にこの中学生だけでなく、多くの高校生、大学生も理屈が通らない「物理」やひいては「科学」に不信感を持ち始めていることにわたしたちは危惧すべきでしょう。

🔲 この21世紀において、残念ながら経産省は国民に対して、封建社会の君主と同じスタンスで「よらしむべし、知らしむべからず。」という愚民政策を推進しています。こうした主権者である国民や次世代の科学の担い手となる生徒に言葉の「擬装」で混乱までさせて、なぜ商品売買で全国民に「重さの廃止、質量の義務化」をさせなければならなかったのでしょうか。必要な最先端の工場ではSI単位の「質量」を使い、そうではない国民の生活の場では重力単位の「重さ」を使うという柔軟に多様な単位系の共存を何故できないのか、不思議です。それをすれば言葉の擬装などという手品まがいの罪深い政策を実施する必要はなかったと思います。

🔲 そのために、早急に「全面SI化」の廃止を行うべきでしょう。もちろん、「全面SI化」の廃止は「SI単位」の廃止ではありません。「SI単位」と「重力単位系」などとの共存です。 

🔲 以下は注です。注だけ読んでもことの裏側がよりわかります。
(注1)計量法の条文を読んでも商品売買で「重さ:禁止」、「質量:義務化」という記述はどこにもありません。物理の言わず語らずの常識で読むとそういう結論になりますが、その結論がどこにも記述されていないのは、どう考えても変だと思います。
そこで、一般の人のために、計量法の中に何故、法定計量単位が「重さ禁止、質量義務化」になったことを明示しないのか、と経産省の広報担当に問い合わせたことがあります。その答えは「計量法は消費(者)のための法律ではない。」でした。この回答は、計量法の目的の条文を完全に無視しており、絶句です。以下に計量法の目的を引用します。

計量法第1条(目的)
この法律は、計量の基準を定め、適正な計量の実施を確保し、もって経済の発展及び文化の向上に寄与することを目的とする。

(注2)正確に言えば、当時すべての新聞社が完全に委縮してしまったわけではありません。途中までこの問題でかなり経産省に食い下がったのは、朝日新聞1社だけでした。たとえば、この計量法に関連した審議会が利害当事者を中心に委員が閉鎖的に構成され、その中に教育関係者が一人もいないと問題点を指摘するなど、経産省を積極的に批判して頑張っていましたが、途中で核心部分の問題については沈黙してしまいました。最後に、「質量」で商品売買をするのは無理だ、という核心をついた論評を紹介したのは、地方の聞いたこともなかった新聞――信濃毎日新聞だけでした。その他のすべての全国紙は、全くこの問題に沈黙してしまいました。新聞社というのは、これほど簡単に(?)に権力に委縮してしまうのか、と驚きを禁じえませんでした。これは戦時中の話ではありません。1992年~1999年のことです。

(注3)米国オバマ政権下で「全面SI化」実現のための法案が提案されようとしていたとき、米国民の反対のデモが起き、この立法が見送られました。これに対して日本では何の問題もないかのように「全面SI化」が成立し「重さの単位」を廃止してしまいました。現在アメリカでは商品売買が「重さ」で行われていますが、日本では、「重さ」が廃止され、代わりに「質量」が登場してしまいました。日米におけるこの違いが生じた原因についてコメントします。米国政府は「ヤード・ポンド系」から「全面SI化」をしようとしたため、米国民には「lb(ポンド)」が消滅し「kg」へ移行することが単位の違いで丸見えになりました。これはどうやっても擬装は不可能でした。これに対して日本では経産省の混用政策によって「重さ:kg重」から「質量:kg」への移行があたかも「重さ」から「重さ?(=質量)」で変化がないかのように国民に「擬装」したため、このとんでもない計量法の立法化に成功しました。これが、日米の差異を分けた原因と思われます。

アメリカの失敗の原因は、日本のように尺貫法を改正し、メートル法にしたうえで全面SI化に成功したのでこれを見習うべきだ、という趣旨の発言を著名な計量評論家が本音を自身のサイトで漏らしていました。これはかなり驚きです。日本の全面SI化は、尺貫法の廃止の時からその計画が始まっていたとも読めるからです。ただ、この記述は、最近もう一度そのサイトに確認にいくと、この部分が消去されていました。

(注4)「擬装」と「偽装」はよく似ていますが、少し違いがあります。「偽装」は明らかに犯罪行為ですが、「擬装」は犯罪行為とまで言えるかどうかは微妙です。ただ国民に対して倫理感が欠如した行為であること明らかです。

(注5)経産省計量研究所発行の文書に第3回国際度量衡会議声明の記載が紹介されています。こうした事実から恐らく、「質量と重さ」の混用政策に計量研究所が挙げて賛成したとは思えません。しかし、工業技術院計量研究所主席研究官がこの混用政策の推進役の中心メンバーになっているのには驚きです。産総研の内部では、こうした混用政策で意見が一致しているのですか、と担当者に質問したところ内部で意見が割れていると答えてくれました。良心的な見識を維持している人は内部に多数いるが、それが外部へ声をあげられない悲しい事情があるようです。

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